あいちdeニューノーマルの選択肢、半農半Xな暮らしガイド ー買うからつくるへー

実践者たち

農業×飲食店 実践者 河原夫妻

住んでいる地区[北設楽郡東栄町] 愛知県北東部の東三河地方山間部に位置し、花祭と呼ばれる霜月神楽の伝統芸能が残る。

住んでいる地区[北設楽郡東栄町] 愛知県の北東部に東三河地方山間部に位置し、花祭と呼ばれる霜月神楽の伝統芸能が残る。
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愛知県北東部の東三河地方山間部に位置し、花祭と呼ばれる霜月神楽の伝統芸能が残る。 スマートフォン用

河原夫妻の半農半Xのヒストリー

1974年名古屋市出身(和明さん)、2003年タナさん来日し二人が出会う、
              2013年頃田舎暮らしを考え始める、2016年移住に向けて東栄通い開始、2017年自給のための農業開始、
              2019年お店の食材としての農業、2022年キッチンカーによる移動居酒屋開業予定
1974年名古屋市出身(和明さん)、2003年タナさん来日し二人が出会う、
              2013年頃田舎暮らしを考え始める、2016年移住に向けて東栄通い開始 スマートフォン用
2017年自給のための農業開始、
              2019年お店の食材としての農業、2022年キッチンカーによる移動居酒屋開業予定 スマートフォン用

半農半Xの一年

畑(野菜):1〜2月、果樹収穫(ゆず):1月、山菜収穫(ふきのとう・たけのこ等):3〜4月、果樹収穫(梅):6〜7月、畑(野菜・ハーブ等):6〜12月、果樹収穫(クリ・柿・ゆず)、居酒屋の経営(ランチとディナー):1〜12月

半農半Xの収入 比率

農業:30%、居酒屋:70% 農業:30%、居酒屋:70% スマートフォン用
河原夫妻の写真

最寄りの施設

中学校車で10分、保育園車で10分、コンビニ車で3分、飲食店車で6分、食料品車で10分、救急医療車で15分、衣料店車で10分、小学校車で10分、高校車で18分、美容床屋車で10分、職場車で0分、薬局車で12分、郵便局車で10分、ガソリンスタンド車で10分
中学校車で10分、保育園車で10分、コンビニ車で3分 スマートフォン用
飲食店車で6分、食料品車で10分、救急医療車で15分 スマートフォン用
衣料店車で10分、小学校車で10分、高校車で18分 スマートフォン用
美容床屋車で10分、職場車で0分、薬局車で12分 スマートフォン用
郵便局車で10分、ガソリンスタンド車で10分 スマートフォン用

役に立った行政などの支援策(※マークは別ウィンドウで開きます)

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シンプルな生き方を追いかけて行ったら、いつの間にか自然の循環の中で生かされる暮らしの日々

愛知県東栄町。
河原和明さん・タナさん夫妻は、この町の伝統文化である花祭や豊かな自然に心惹かれて、名古屋から移住を決めた。 その二人が2017年に東栄町月地区に開業したのが居酒屋ダイニング「古民家ダイナー月猿虎」だ。
築90年の古民家を改装した建物で、料理自慢の二人が工夫を凝らした和洋の料理の評判が良く、人気のある飲食店だ。 店内には県内外からの観光客はもとより、地元の住民も集い、文化の交流の場ともなっている。
この店で提供される料理には、タナさん自らが店の前の畑で育てた野菜がふんだんに使われていて、その新鮮で滋味あふれる味は店の魅力の一つにもなっている。
飲食店を経営する一方、季節に合わせた作物を育て、その豊かな恵みを採取する。 一日の終わりには「一生懸命働いた後の風呂が最高!ビールも最高!」と感謝しながら過ごす毎日。
そのきっかけは、移住を決めたこの土地で、二人が飢え死にせずに生きていくための保険としての野菜作りだった。 それが今となっては、ここでの生活を楽しむために無くてはならない大事なものとなっている。半農半Xが二人にもたらした「自然の循環の中で生かされていることを感謝する生活」 二人の想いが、そこに至るまでのいきさつを聞いてみた。

愛知県栄東町の写真
河原夫妻の写真
あしらい

音楽がきっかけで出会った二人

ロックバンドのフィギア写真

名古屋出身の和明さんと、アメリカ・ミネソタ州出身のタナさん。 二人は音楽を愛し、それぞれがロックバンドで音楽活動をしていた。タナさんが日本にやって来てすぐに、音楽がきっかけで二人は出会い、意気投合して共に時を過ごすこととなる。
東栄町に移住するまでは、名古屋で飲食の仕事に携わっていた和明さん。都会での忙しく疲弊する毎日に去来する思いがあった。 都会には便利さを求めて無駄な物があふれ、情報がありすぎ、人も多すぎる。お金を稼ぐためだけに仕事する今の社会の働き方にも違和感を持つようになった。
「もっとシンプルな暮らしがしてみたい」 そのころに起きた東日本大震災もきっかけの一つとなり、自然と共に生きる暮らし方を模索するようになる。 タナさんもまったく同じ考え方だった。

あしらい

奥三河の魅力に惹かれて

二人の共通の趣味は山登りやハイキング。時間を見つけては自然のある場所に訪れていた。 そのころに頻繁に通っていたのが奥三河だ。 偶然に出会った伝統芸能の「花祭」にも心をわしづかみにされ、東栄町への関心が高まった二人。 彼らは移住を前提として、東栄町を色々と調べてみることにした。 そこには自分たちの趣味と共通するイベントも多く、移住して生活をするために、行政の支援金などのサポートも受けることができる。役場の担当者の対応も良く、とんとん拍子に事が運んだ事も、彼らの移住への後押しとなった。

店内の写真

「東栄町への移住の一番の決め手は、豊かな自然と伝統ある古い文化」 当時を振り返ってタナさんは言う。 名古屋での飲食業で腕を磨いてきた和明さんと、ミネソタにいた頃はオーガニックフーズを扱うスーパーで長年にわたり総菜を作っていたタナさん。 二人の得意とする飲食業をなりわいとして、自然豊かなこの場所で生きていく事を決め、力を合わせてオープンさせたのが「古民家ダイナー月猿虎」であった。

店内の壁紙
あしらい

農業を始めたきっかけ

タナさんの写真 畑の写真

タナさんが野菜を育てる畑の場所は、店舗の斜め前で、道路を挟んだすぐ南側にある。 取材に訪れた時には、穏やかな秋の日差しを浴びて、きらきらと畑全体が輝いていた。「今の時期に育てているのは、白菜、大根、春菊、普通の水菜と紅い水菜。育てていたら大きくなりすぎて、小松菜じゃない大松菜になっちゃったよ!」と、畑の作物を、まるで大事に育てたわが子の様に紹介してくれたタナさん。 二人が畑仕事を始めたきっかけを和明さんに振り返ってもらった。 「ここ東栄町で、二人で店をやって生きていく事をチャレンジだと考えた。有り金をはたいてこの土地に越してきて、この店を作ったので、失敗するわけにはいかなかった」 土地を借りてやるのではなく、自分たちで土地を買って始めることなので、何としてでも生きていかなくてはいけないという想い。 「もしも最悪の場合は、自分たちで野菜を作って食べれば、飢え死にはしないだろう。ジャガイモを作って食べていれば、たぶん死ぬ事はないだろう、という腹づもりでした」 育てた農作物を店に出そうというよりは、自分たちの食べる物は自分たちで作ろうということ。 いざ金がなくなっても、食べ物さえあれば何とかなるという保険ということだ。 最初はそうしたきっかけで始めた畑仕事だったが、無事に開業した店の経営と、東栄町での二人の暮らしと共に、少しずつその姿と目的を変えて行く。 当初は家の裏の高い場所で、1本だけ畝をつくり畑仕事を始めた。 近所の人が、白菜の苗を持って来て植えてくれた。4年前のことだった。 3年前には場所を変えて、いろいろと植えてみたけれど、畑の広さが狭すぎたし、近くに水が無かったので大変だった。少しレタスが採れただけだった。 まわりの人々にいろいろとアドバイスをもらい、今の場所で畑を始めたのは2年前だ。 店と家の目の前で、よく管理もできるし、水も近くにある。 「当初ここまで畑が本格的になるとは思っていなかった。それまでは、二人で必死にこのお店をやるのが大前提。何よりもまずは店。そこから4年が経って、二人でどこまでやれる範囲なのかということが、随分とわかってきた」 4年の年月が経ち、お店の営業も含めたここでの暮らしのペースが分かってきた。 タナさんの畑仕事も軌道に乗り、今では、季節に合わせた新鮮な野菜が多品目、畑と料理の皿を彩ることとなる。

和明さんの写真
タナさんが畑で作業している写真
あしらい

タナさんの想い

タナさんの写真

アメリカで食の仕事に携わっている時も、名古屋で英会話教室の講師をしながらロックバンドで活動をしていた時も、何かを育ててみたいという漠然とした気持ちを持っていたタナさんだった。しかし都会にはそのための土地はなく、和明さんと同じく、多忙を極める彼女にも、その時間は持ち合わせが無かった。 だからこそ、もしも田舎に住むならば、土地があり畑ができる事が大切、と思っていたという。 自分たちで作った野菜とか、地元の木から採れた果物とか。それらを料理に使おうと自分でやることに意味がある。材料をすべてスーパーで買った物だけで賄うのでは意味がない。目の前の植物からインスピレーションを得て、メニューを組み立てたりしてみたい。ここに来て、自然に触れて、その思いが一層強くなった」 始まりは、自分たちの食を賄う目的の農作業であったが、徐々にタナさんの気持ちに寄り添うものになってきていた。

あしらい

豊かな自然の恵み

和明さんと畑の写真、河原夫妻の写真、畑の写真

タナさんが畑で育てる野菜を含め、ここ東栄町には豊かな自然の恵みが豊富にある。 二人が暮らすために譲り受けたこの土地には、前の持ち主が育てていた柚子畑があり、冬になるころに黄色く熟した実をつける。 時期を同じくして、冬に美味しい大根や白菜。2月には梅の花が咲く。3月には春の訪れをいち早く告げるふきのとう。 ヨモギは春の香りを運んできて、4月にタケノコが頭を出すころには本格的な春が訪れる。 5月はサラダ用の野菜の全盛期。レタスやスナップエンドウ、さやえんどうにソラマメ、そしてみずみずしい水菜。 6月には新じゃが。梅の実がなれば梅干し・梅漬け・梅酒・梅ジャム作り。梅ジュースを心待ちにしているファンもいっぱいいる。 7月には収穫が追い付かないほどの夏野菜。 8月にはササゲ、9月には栗や柿。 そうしてまた黄色の柚子の季節を迎える。 季節ごとの自然の彩りと向かいあっているうちに、一日が終わり、ひと月を迎え、一年があっという間に過ぎていく。 いつも何かやることがあるという二人。 やることが無くて暇、ということは滅多になく、何かしらいつもやっている。 もしもお店をやっていなかったとしたら、その手に余るほどの恵みの数々を使いきれなくて終わってしまうであろう。 「柚子がたくさんある時に、一袋100円で販売するとか。それを柚餅子にして販売するとか。また、しいたけがたくさん生えれば、原木しいたけが300円で買えるとか。お店をやっていれば、料理にして提供すると共に、あまればお客様にもっていってもらうなどで生かすことができている」 自然からの恵みを無駄にすることなく、自分たちが生きていくための糧とし、またお店を通してお客様とその恵みを分けあうことで、十分にそれを生かしていく。 今では、大きな自然の循環の中に身を置いている、という和明さんとタナさん。

あしらい

農作業を介して、地域の人とのつながりも

「畑を始めてから、まわりに友達が増えた。まずは共通の話題があるから、話が盛り上がる。 隣の家の83歳のおばあちゃんは、これまで畑を休んでいたが、タナさんに触発されて畑を再開した。上のお寺の住職さんはお店の常連になってから、感化されて自分でも畑を始めた」 「周りの畑をやっている人に頼り、先輩に教えてもらう。周りの人とかかわって参考にしながら、隣のおばあちゃんの畑を見て、その手があったかとひらめきを得るとかも大事」 地元の方から学びつつも、地元の人もタナさんから影響を受けて畑を始めていく。 農作業をやることで、地域のつながりが広がる。福祉的な一面もあるのかもしれない。 農業という共通話題があると話が広がるし、農業は人と人を結びつける力もあるということか。

あしらい

都会での暮らしとここでの暮らし

木材が積み上げられている写真

「都会で暮らしていた頃に比べて、収入は減ったが、それ以上に得るものがある。収入だけで言えば、こちらへ来て半分以下になったし、そしてコロナでさらにダウンもした」 それでも尚、ここでの暮らしでないと得難いものがあるという二人。 二人のチームでチャレンジしている、というのがいちばんの魅力的な事。ここの土地を買って、ここで暮らして、ここで死んでいくのを決めたことだから、お金を稼いであれこれ買いたいとか、そういう気持ちがもう無いという。 「もちろん、海外でのんびりしたいとかの夢もあるし、新たに湧いてくるアイデアがあればチャレンジする為の投資をすることもある。でも二人でこの生活を回していく事、その最低限のお金があれば十分。二人で頑張って薪を作り、買わずに済ませばその分が収入増になる。都会で住んでいる時と違い、ここに来て暮らしてみれば、十分満ち足りている。もちろん野菜作りもその一端を担っている」

あしらい

シンプルさを追い求めるということ

お金はいらないとか、隠遁生活をしているわけではないが、お金に頼らずとも十分に楽しめる、自然の循環の中での暮らし。 今までは都会で、お金の循環の中に生きていたが、ここへ来て自然の循環の中で暮らしているという思い。 その思いに行きついたのはやはり、シンプルさを追い求めていったが故であるという。

あしらい

ロックと田舎暮らしに親和性はあるのか

若いころからロックバンドで音楽活動をしていた二人。ロックと田舎暮らし。一見ミスマッチで真逆な感じがするが、この地で楽しんでいる二人を見ていると、その2つには意外と親和性があるのではないかとも思えてくる。 「年齢を重ねていくと、いろんな事をだんだんと掘り下げていくことになる。聞く音楽も、だんだんとベーシックなものに立ち返っていく。チャックベリーとかビートルズとかね。音楽も文化も年をとるとシンプルな部分を求めて原点に帰っていく。自然なバイブレーションが音楽には入っているし、大事な部分が見えてくる。そういう事がロックだと思う」 シンプルさを追い求める二人の気持ちの根底には、やはりロックの精神が根付いていた様だ。

あしらい

これから半農半Xを実践したい人たちへ贈る言葉

和明さんが笑っている写真

自分たちの様に「楽しんでやって下さい」ということだという。 「頑張ることは必要だけれど、売るために作物を作るのは大変なこと。好きなものを育てて、それを楽しみにできること。植物をよく見て、周りに聞いてみたりね。 畑をやるということは、よく見て感じてそれを活かしていくということ。 それがだめだったとしても、それを習いとして次に生かす楽しみにできることがとても大切。それは生活にも通じるものがあるね」

あしらい

大きな環境の中で生かされている

タナさんが笑っている写真

半農半Xを実践することで、農の部分からもXとしての飲食店の部分もからも楽しさ見出せる生活を得た河原夫妻。 最後は人間、田舎暮らしであれば、衣食住の食の部分があれば何とかなる。 そして、畑を通しての人とのつながり。それがめぐりめぐってお店のつながりにもなってくる。単に飲食店を経営しているだけでは、そういう事はあまりないだろう。 農とXの部分がそれぞれなのではなく、密接にかかわりあい融合していること。 二人の店「古民家ダイナー月猿虎」もそんな感じで、店と農が完全に一体化し、自然を介した一つの大きな循環の中にある。 「無駄なく全部が結びついて行ければいいな」 タナさんは今日も楽しそうに畑の野菜を育てている。