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あいちの砂防の歴史
砂防法制定以前
鎌倉時代より瀬戸地方は、「せともの」の製造がさかんで、多量の陶土の採掘や樹木の伐採により次第に山地・丘陵地は荒廃し、はげ山が広がっていきました。
このため、多量の土砂が流下して河川に堆積して天井川となり、しばしば大きな災害を引き起こしていました。
「水を治むる者は国を治むる。」のたとえどおり、江戸時代になって尾張藩は治水を重んじ、寛文元年(1661年)水野村(現在の瀬戸市)に御林方役所を設けて山林の保護取締りをおこないました。
さらに天明2年(1782年)には水野代官所に山方係を設け、毎年3月下旬に赤楊の苗木を山麓に、翌年には松苗を山腹にと交互に植栽をおこなう制度を確立し、その実施を庄屋に命じました。庄屋は「水源普請」と称して工事を実施し住民が巡視、樹木の保護などの山林管理をおこないました。 このように、古くから治水のための砂防が実施されていましたが、その効果は必ずしも十分ではなく、明治時代の初め頃には、この地方の山林はほとんど伐採し尽くされ土砂の流出も甚だしく、このため、政府がヨーロッパ先進技術の導入のため招聘したオランダ人技師デ・レーケ氏が来県、その指導により現在の瀬戸市、春日井市において明治11年から13年にかけて内務省土木局は、土堰堤工事、植苗工事等を実施しました。これに対応して、県は明治13年「水源作業管理規定」を定め、水源の涵養に努力し土木工事と併せ造林にも力を注いだ砂防工事を実施しました。
砂防法制定以後
明治30年砂防法が制定され、我が国の砂防は本格的にスタートする事となりました。本県でも、直ちに5,743haが砂防指定地に編入され土地の形状変更や樹木の伐採等を制限するとともに、瀬戸地方において山腹工を主体とした砂防工事が実施されました。
明治38年(1905年)には当時砂防の世界的権威者で東京帝国大学で砂防講座を開設していたオーストリア人ホフマン氏が瀬戸地方を訪れ、砂防工事を実施しました。翌年には砂防30箇年計画を樹立し、幾多の砂防工事が実施された中、明治44年(1911年)県に砂防森林課が新設されました。
昭和5年(1930年)、砂防は土木部河港課が所管することとなりましたが、これと前後して救農事業の一環として時局匡救砂防事業も活発におこなわれました。
これらの変革を経て、第2次世界大戦を境に荒廃した山野の保全が急務となり、昭和26年(1951年)砂防課として独立し、以来砂防行政は名実ともに軌道に乗り一層活発に行われるようになりました。昭和33年には地すべり等防止法、44年には急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律が制定されるなど法体系も整備されてきました。
今日では、土木工学の著しい発達による高度な技術が駆使された砂防工事は国土の保全と民生の安定のため必要不可欠の事業となっています。
明治38年(1905年)には当時砂防の世界的権威者で東京帝国大学で砂防講座を開設していたオーストリア人ホフマン氏が瀬戸地方を訪れ、砂防工事を実施しました。翌年には砂防30箇年計画を樹立し、幾多の砂防工事が実施された中、明治44年(1911年)県に砂防森林課が新設されました。
昭和5年(1930年)、砂防は土木部河港課が所管することとなりましたが、これと前後して救農事業の一環として時局匡救砂防事業も活発におこなわれました。
これらの変革を経て、第2次世界大戦を境に荒廃した山野の保全が急務となり、昭和26年(1951年)砂防課として独立し、以来砂防行政は名実ともに軌道に乗り一層活発に行われるようになりました。昭和33年には地すべり等防止法、44年には急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律が制定されるなど法体系も整備されてきました。
今日では、土木工学の著しい発達による高度な技術が駆使された砂防工事は国土の保全と民生の安定のため必要不可欠の事業となっています。
西暦 | 年号 | 事項 | 説明 |
---|---|---|---|
1661 | 寛文元年 | 御林方役所設置 | 水野村に御林方役所を設け、水野権平を御林奉行に任じ、春日井・愛知2郡の山林を保護管理した。 |
1666 | 寛文6年 | 水野川大洪水 | 庄内川水系水野川が集中豪雨による大洪水に見舞われ、堤防が諸所で欠損し、御林方役所は直ちに堤防修築工事に着手した。 |
1722 | 享保7年 | 門松の制限 | 山林保護のため、正月用門松に真松の使用を禁止した。 |
1726 | 享保11年 | 開墾の制限 | 新規開墾制限等、山林荒廃対策を講じた。 |
1762 | 宝暦12年 | 陶業制限提訴 | 水野村、上品野村、赤津村等の農民は度重なる災害にたまりかね、陶業の制限を提訴した。 |
1767 | 明和4年 | 庄内川大洪水 | 庄内川が未曾有の氾濫に見舞われた。特に西春日井郡水野村、大野木村の被害は惨状を極めた。尾張藩主宗睦は自ら災害地を視察し、根本的防災工事を決意し、治水家水野千之右衛門(岷山と号す)を普請奉行に起用し、庄内川治水事業に着手した。 |
1779 | 安永8年 | 砂留林の指定 | 荒廃の危険性が強く、水源林としての保護が必要な約20町歩を砂留林に指定して、伐採を禁止した。 |
1782 | 天明2年 | 砂防植樹制度 | 御林方役所とは別に山方係を設け、砂防植樹制度を開き赤楊と松苗の植栽を奨励し庄屋はこの砂防植樹を「水源普請」と称し、施工規準を定め地元民が自主的に山林管理組織を作った。 |
1869 | 明治2年 | 御林方役所消滅 | 明治維新に伴う廃藩により水野の御林方役所が消滅し、林野管理の主体が無くなると、瀬戸地方の林野は極度に荒廃し、禿緒地(とくしゃち)になった。 |
1878 | 明治11年 | 直轄砂防工事実施 | 内務省はオランダ人技師デレーケ氏の現地調査の結果に基づき、瀬戸村、水野村、山口村、坂下村に明治13年までの3カ年計画で内務省直轄の砂防工事を着手した。 |
1880 | 明治13年 | 水源作業管理規程制度 | 山林荒廃挽回対策として山林の濫伐を戒め閑地に対する植樹を奨励するとともに、水源作業管理規程を制定し、水源の土砂扞止を目的として、木曽川、庄内川、天白川、境川、矢作川、英比川流域の諸山における樹木伐採その他の事業を行う場合事前に許可を要することとした。 |
1881 | 明治14年 | 県営砂防事業開始 | 県営の砂防事業が全国的に開始された。 |
1897 | 明治30年 | 砂防法公布 | 30日法律第29号をもって砂防法が公布された。 |
1899 | 明治32年 | 砂防指定地編入 | 9月8日内務省告示第100号で瀬戸市をはじめとする5,743haを砂防指定地に編入し、県令73号で林地作業の取締を始めた。 |
1900 | 明治33年 | 砂防法に基づく砂防工事開始 | 庄内川支川矢田川、支流瀬戸川水源地、八幡川水源地及び西加茂郡保見村地域に於いて、砂防工事を開始した。 |
1905 | 明治38年 | 砂防長期総合計画 | 県下の荒廃地調査を実施し、砂防事業の長期総合計画を樹てた。 |
1905 | 明治38年 | ホフマン砂防工事 | 技術指導のために来日したオーストリアのホフマン氏が瀬戸町において模範工事を実施した。 |
1906 | 明治39年 | 砂防30ヶ年計画樹立 | 明治40年~明治69年(昭和8年)に至る砂防30ヶ年計画を県議会に附議し、総事業費2,959,987円47銭が成立した。 |
1907 | 明治40年 | 砂防課設置 | 内務省に砂防課を設置した。 |
1908 | 明治41年 | 山林取締巡査設置 | 緒川、瀬戸、岡崎、挙母、足助の各署に山林取締巡査を配属し、砂防指定地及び森林保護取締にあてた。 |
1910 | 明治43年 | 皇太子殿下砂防工事視察 | 皇太子殿下(大正天皇)が瀬戸市東萩の砂防工事視察。この時、萩の茶屋で休息されたので萩御殿と呼んだ。 |
1911 | 明治44年 | 第一期治水事業計画 | 国は第27帝国議会で明治44年~明治61年(昭和4年)に至る18ヶ年の第一期治水事業計画を可決した。このため県では先の明治39年に樹立した砂防30ヶ年計画を修正して、第一期治水計画として再出発した。 |
1911 | 明治44年 | 砂防森林課設置 | 内務部砂防課を廃止し、砂防森林課とした。水野村、高蔵寺村、保見村に砂防森林事務所を新設した。 |
1930 | 昭和5年 | 砂防事務を土木部に移管 | 土木部河港課に砂防係を設け、砂防事務を移管した。 |
1932 | 昭和7年 | 時局匡救事業始まる | 第62帝国議会にて時局匡救事業を決議した。 |
1935 | 昭和10年 | 砂防事務所設置 | 水野(瀬戸市)に砂防事務所を設置し、西部(高蔵寺)および東部(水野)に分所を設けた。 |
1939 | 昭和14年 | 砂防7ヶ年計画樹立 | 砂防7ヶ年計画を策定した。 |
1943 | 昭和18年 | 豊川水系で砂防工事開始 | 豊橋に砂防事務所を設け、豊川支川朝倉川で砂防工事を開始した。 |
1947 | 昭和22年 | 治水砂防全体計画樹立 | 戦争による乱伐により山地は荒廃し、下流に悪影響があり、これを鑑み県下全域に治水砂防全体計画を樹立した。 |
1950 | 昭和25年 | 天竜川水系で砂防工事開始 | 天竜川水系大入川支川油戸川で砂防工事を開始した。 |
1951 | 昭和26年 | 砂防課設置 | 河港課砂防係を分離して、砂防課を設置した。 |
1953 | 昭和28年 | 砂防事務所廃止 | 砂防事務所を廃止して、土木事務所の管下に配置した。 |
1954 | 昭和29年 | 豪雨災害発生 | 城東村(犬山市)を中心とする地域に集中豪雨が2度あり、土砂災害が多発し、入鹿地区では地形が変わってしまった。 |
1957 | 昭和32年 | 豪雨災害発生 | 瀬戸市を中心に集中豪雨があり、土石流が発生し、大被害を被った(死者33人) |
1958 | 昭和33年 | 地すべり法制定 | 地すべり等防止法が成立し、地すべり対策を砂防事業の一環として実施することとなった。 |
1959 | 昭和34年 | 地すべり防止工事開始 | 吉良町乙川区域で地すべり防止工事を着手した。 |
1959 | 昭和34年 | 伊勢湾台風襲来 | 9月26日、台風15号の直撃を受け、本県では大被害が発生したが、砂防災害も301箇所にのぼった。 |
1960 | 昭和35年 | 治水10ヶ年計画策定 | 治山治水緊急措置法が制定され、これにより治水10ヶ年計画(昭和35年~44年)を策定した。 |
1965 | 昭和40年 | 治水5ヶ年計画策定 | 国は昭和35年策定の10ヶ年計画を打ち切り、新5ヶ年計画(昭和40年~44年)を策定した。 |
1968 | 昭和43年 | 奥三河地方に集中豪雨(砂防一定災を採択) | 奥三河地方に集中豪雨があり、砂防災害が多発した。このため天竜川水系横平川、牧の島川、宝池川で砂防一定災を初めて提案し採択された。 |
1968 | 昭和43年 | 急傾斜地崩壊対策事業開始 | 南知多町西ノ平井区域で、崖崩れ防止工事に着手した。 |
1968 | 昭和43年 | 第三次5ヶ年計画策定 | 国は第三次治水事業5ヶ年計画(昭和43年~47年)を策定した。 |
1969 | 昭和44年 | 急傾斜地法制定 | 急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律が制定された。 |
1972 | 昭和47年 | 第四次5ヶ年計画策定 | 国は第四次治水事業5ヶ年計画(昭和47年~51年)を策定した。 |
1972 | 昭和47年 | 西三河山間部に大災害 | 小原村、藤岡村(豊田市)を中心に集中豪雨があり、崖崩れ、土石流が多発し、両村で死者・行方不明者が54名にのぼった。 |
1977 | 昭和52年 | 第五次5ヶ年計画策定 | 国は第五次治水事業5ヶ年計画(昭和52年~56年)を策定した。 |
1977 | 昭和52年 | 超過課税充当事業実施 | 県は法人事業税の超過課税を財源とする防災事業を実施することとなり、砂防・急傾斜地崩壊対策事業にも適用した。 |
1980 | 昭和55年 | 砂防事業100年記念 | 砂防事業100年を記念して、全国で盛大に記念行事が行われた。 |
1982 | 昭和57年 | 第六次5ヶ年計画策定 | 国は第六次治水事業5ヶ年計画(昭和57年~61年)を策定した。 |
1983 | 昭和58年 | 総合土石流対策推進連絡会発足 | 総合的な土石流対策の連絡調整を図るため愛知県総合土石流対策推進連絡会が発足した。 |
1983 | 昭和58年 | 急傾斜5ヶ年計画策定 | 国は急傾斜地崩壊対策事業5ヶ年計画(昭和58年~62年)を策定した。 |
1985 | 昭和60年 | 総合土石流対策事業開始 | 危険渓流の周知、警戒避難体制の確立等、総合的な土石流対策事業が県単独事業として認められた。 |
1987 | 昭和62年 | 急傾斜事業20周年記念 | 急傾斜地崩壊対策事業20周年を記念して、東海ブロック及び全国で記念行事が行われた。 |
1987 | 昭和62年 | 第七次5ヶ年計画策定 | 国は第七次治水事業5ヶ年計画(昭和63年~66年)を策定した。 |
1988 | 昭和63年 | 第二次急傾斜5ヶ年計画策定 | 国は第二次急傾斜地崩壊対策事業5ヶ年計画(昭和63年~67年)を策定した。 |
1989 | 平成元年 | 旭町を中心に大災害 | 台風22号による記録的な豪雨で各所に土石流が発生し死者1名、家屋全半壊62棟の被害を受けた。 |
1992 | 平成4年 | 第八次5ヶ年計画策定 | 国は第八次治水事業5ヶ年計画(平成4年~8年)を策定した。 |
1993 | 平成5年 | 第三次急傾斜5ヶ年計画策定 | 国は第三次急傾斜地崩壊対策事業5ヶ年計画(平成5年~9年)を策定した。 |
1997 | 平成9年 | 砂防法制定100周年 | 1897年(明治30年)3月30日法律第29号をもって砂防法が公布され、100周年を迎えた。 |
1997 | 平成9年 | 第九次5ヶ年計画策定 | 国は第九次治水事業5ヶ年計画(平成9年~13年)を策定した。(平成10年1月に7ヶ年計画<平成9年~15年>に延長) |
1997 | 平成9年 | 第四次急傾斜5ヶ年計画策定 | 国は第四次急傾斜地崩壊対策事業5ヶ年計画(平成10年~14年)を策定した。 |
2000 | 平成12年 | 土砂災害防止法制定 | 土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律が制定され、警戒区域内の警戒避難体制の整備や特別警戒区域内での特定開発行為の制限などが明記された。 |
2000 | 平成12年 | 東海豪雨災害 | 秋雨前線と台風14号の影響により、記録的な豪雨となり、各地で、土砂災害が発生し、死者3名、家屋全半壊11棟の被害を受けた。 |
(参考資料)