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愛知県立高蔵寺高等学校の社会科見学を受け入れました
調査研究課の高山です。
10月24日に、愛知県立高蔵寺高等学校の社会科見学がありました。
午前・午後に分かれて2クラスの見学があり、先生も含め84名を受け入れました。
考古学や発掘調査についての講義だけでなく、本物の土器・石器に触れる体験や、普段は見られないバックヤードも含む施設見学も行いました。
土器の発達についての講義では高蔵寺高校に関わるお話もしましたので、ご紹介します。
やきものは土器・陶器・磁器の大きく3つにわけることができます。
縄文時代以来日本では土器が作り続けられていましたが、5世紀前半ごろ(古墳時代)になると、朝鮮半島から陶質土器(陶器)の技術が導入されます。
この技術をもとに、まず北部九州から瀬戸内、大阪、愛知で須恵器が作られるようになり、その後全国各地に窯が普及していきました。
愛知県にはじめにできた窯は猿投窯(さなげよう)と呼ばれ、名古屋市から日進市、東郷町、長久手市、みよし市などに分布します。その後窯は春日井市、小牧市にも広がり、尾北窯(びほくよう)が形成されました。
また、猿投窯と尾北窯は高い技術力を持った窯で、飛鳥や奈良の都にも運ばれるほどでした。
例えば、高蔵寺高校から歩いて20分ほどの場所にある「高蔵寺2号窯」「高蔵寺3号窯」で作られた須恵器は藤原宮などから見つかっています。
身近な場所に遺跡があること、そこで作られた製品が遠く離れた都で使われていたことを知り、生徒だけでなく先生も大変興味を持っておられた様子でした。
「自分の学校の近くでも作られていたとは思わなかった」「まさかの高蔵寺(しかも家の近く)から須恵器が作られていたなんて思わずびっくりしました」「尾張地方では瀬戸物が有名なのはしっていたが、高蔵寺付近にもすごい陶器を作れる技術があったのは驚いた」など、多くの驚きの感想がありました。
今回の見学が遺跡や考古学を少しでも身近に感じるきっかけになれば幸いです。