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碧南市 景観資源リスト

ページID:0354112 掲載日:2021年8月19日更新 印刷ページ表示

碧南市 景観資源リスト

大浜漁港

大浜漁港
 漁を終えて停泊している漁船にカモメが休むのどかな風景。 大浜漁港は南北に長く、岸壁には漁船が数多く係留されています。昔、漁港の岸壁と堤防は石組みのものでした。付近は魚釣りや潮干狩りの場として子供たちに人気がありました。伊勢湾台風を経て、岸壁はコンクリートに、木製の船は強化プラスチック製に変わりました。
碧南市築山町、港本町
一般応募
大浜漁港
 大浜は古くから海上交通の要衝として発展した海の玄関である。今でも多くの漁船が停泊しており、街の景観としても住民に親しまれています。 古くは本能寺の変の際、必死の思いで伊賀越えを終えた徳川家康が家臣とともに漂着し、地元の武将永井直勝らが岡崎城まで無事送り届けたなどの言い伝えが残っています。徳川家縁の寺社も多く、水に囲まれた碧南市有数の景観ポイントであり、周囲には歴史を感じさせる路地も多くみられます。
碧南市築山町
一般応募
大浜漁港
 大浜湊は南北朝の頃、海運の要地として栄え始め、三河随一の港でした。昭和に入り、農林省より大浜漁港に指定されました。水揚げをする海側の岸から振り返って見ると、港と、民家と仏閣の大屋根と境内の巨木が、周囲から群を抜いていて美しい。他に高い建物がないため、このようなバランスの取れた美しい景観が残っています。
碧南市築山町他
推薦:選定委員会

大浜熊野大神社

大浜熊野大神社
大浜熊野大神社
 創建は仁安3年(1168年)。大正から昭和初期、大浜熊野神社は名勝地玉津浦海岸で海水浴をする人々の休憩地としてにぎわいました。境内は砂地で広い松林がありました。この松林で遊んだ記憶を語る市民は多い。松林はそのまま目の前の海水浴場に繋がっており、海に向かった鳥居が印象的でした。埋め立てによって海が失われましたが、境内の広い松林はかつての風景を思い起こさせる記憶装置となっています。
碧南市宮町
推薦:選定委員会

大浜の路地

大浜の路地
 大浜地区(浜寺町地内)にある路地の風景。向かって右は九重味淋、左は西方寺。この路地を進むと道は下り坂になります。昔は海岸に繋がっていたと思われます。 寺社、路地の多い大浜地区は、国の「歩いて暮せるまちづくり推進事業」にも選出されています。碧南市が今後どのような街になるのか、その完成形は分かりませんが、こういった生活を感じさせる路地は是非残してほしい景観であると思います。
碧南市浜寺町
一般応募

旧大浜警察署

旧大浜警察署
 県下でも珍しい大正時代の建築様式を今に残す「旧大浜警察署」は、時代の流れにより役場や区民館などの施設を経て、今なお大浜地区における景観の核となっています。 大浜地区の景観といった場合、建物ではこの「旧警察署」を多くの人が一番に挙げます。
碧南市錦町
一般応募

西方寺の太鼓堂

西方寺の太鼓堂
 大浜てらまちの中で位置的にも造形的にも一番目に付く西方寺。山門の北にある太鼓堂は訪れる人の格好の被写体となります。 毎年10月に辺り一帯を会場とする「大浜てらまちウォーキング」が開催されます。市の内外から大勢の人が訪れ、界隈の寺を巡り歩きます。街角にはお店や作品展示場が臨時に作られ、さらにイベントを盛り上げています。
碧南市浜寺町
一般応募

堤の松並木

堤の松並木
 前浜新田の開発に際して、まず寄州を基盤とし、矢作川の水を防いでぐるりと堤を作りました。文政9年に工事が始まり翌年にこの外堤が出来ました。いつ頃、この松が植えられたかはわかりませんが、堤防決壊の時に、この松にしがみついて堤に残った人は助かったが、あわてて家に戻った人は流されたといいます。川口町の干拓で、この海岸線も内陸化しましたが、見晴らしの良い堤の高さは、平坦な土地のなかで格好の視点場を提供しており、一直線に植えられた松並木自体が美しい景色でもあります。自転車で走り抜けるととても気持ちの良い場所です。
碧南市川口町他
推薦:選定委員会

寺とみりん蔵の路地

寺とみりん蔵の路地
 碧南市の大浜の西方寺は清沢満之終焉の寺で、ちょうどこの北隣が三河みりんの老舗、九重味淋本社です。 大浜地区は寺が多く、昔からの路地がまだ残っています。この道は車1台がやっと通れる道。黒の板壁と白い塗り壁のコントラストが落ち着いた雰囲気を出しています。
碧南市浜寺町
一般応募

碧南市大浜地区の小径

碧南市大浜地区の小径
 碧南市内大浜地区の人通りが多い道の途中にひょっこり現れた小径です。 大浜地区には、寺や細い路地がたくさん見られます。なかでも地区を縫うように走る小径は、とりわけ大浜地区のまちを形づくる代名詞といえます。
碧南市築山町
一般応募

堀川周辺の風景

堀川周辺の風景
 棚尾・大浜地区の醸造業、窯業の出荷用として掘削されてできた堀川周辺には、古くからの碧南市(大浜地区)を思い起こさせる風景が残っています。現存する蔵の風景と堀川の様子を写真としました。 大浜地区は古くから大浜港を中心に栄えた街であり、徳川家康公に縁のある寺社も多く、地元碧南市では「てらまち」と称しています。その大浜地区の中でもこの堀川周辺はこれからも残して行きたい風景と思います。
碧南市音羽町、錦町
一般応募

味醂醸造の景色

味醂醸造の景色
 1624年に味噌たまり醸造が始まり、一時は仕込み桶の規模では日本一とまで言われました。現在のカネニ味噌や九重味淋などは有名で、味噌蔵のある醸造施設はこの産業の歴史の古さを感じさせますこれらは産業遺産としての価値も高く、景観的にも重要なものといえます。
碧南市浜寺町
推薦:選定委員会

海の記憶

海の記憶
 かつては夕日の美しい砂浜と松林があり、海水浴場と温泉と旅館があり、多くの人々が訪れていました。海は工場誘致のための埋め立てで失われましたが、今も海岸だった名残があちこちに残っています。
碧南市天王町
推薦:選定委員会

旧新須磨海岸

旧新須磨海岸
 かつて「新須磨海水浴場」として親しまれた新須磨海岸。海岸は埋めたてられてしまったものの、大浜上熊野神社(上の宮)周辺には、当時のままの海岸の面影が残る松並木が残っており、築造された公有水面の堤防とのコントラストが印象的です。
碧南市天王町
一般応募

旧堤防跡の松並木

旧堤防跡の松並木
 碧南市の南部に位置する前浜地区には、その南部に位置する川口町が干拓事業により埋め立てられる以前に構築された堤防があります。堤防沿いに植えられた松並木は昔の海岸線が思い起こされます。 旧堤防沿いに植えられた松並木は、往時の様子が思い起こされ、松の青さと田畑の青さが相俟って、碧南らしい景色がかたちづくられています。
碧南市川口町他
一般応募

玉津浦海水浴場の共同シャワー

玉津浦海水浴場の共同シャワー
 昭和30年代中ごろまで海水浴場だった玉津浦海岸の共同シャワー。大浜熊野大神社の松林の中にぽつんと残っています。 白砂青松の誉れ高い玉津浦海岸が埋め立てにより消えてから、40数年。当時を偲ぶものは、このビーナス像を戴く共同シャワーのみとなりました。子供たちが海から上がるとここで体を洗い、海岸通り沿いに建ち並ぶ休憩所、売店でかき氷やラムネ、蜜柑水を飲むのが楽しみでした。
碧南市宮町
一般応募

碧緑地の遊歩道

碧緑地の遊歩道
 臨海工業地帯と市街地の間のグリーンベルト「碧の小道」。その中間にあるのがこの碧緑地です。右に見えるのは東屋を配した休憩場所です。 旧海岸線を南北に走る「碧の小道」は散歩やウォーキングにはうってつけの場所です。延長は4kmにおよび、多くの種類の木々が植えられています。ここ碧緑地には桜が多く植えられ、春には桜、秋には紅葉が見られます。すぐ西は国道で大型車が行き交っているが、ここは静かな別世界のようです。
碧南市須磨町
一般応募

臨海公園のメタセコイアの道

臨海公園のメタセコイアの道
 臨海公園の中にある臨海体育館は緑に囲まれています。ここは、その西側のメタセコイアの並木道。右奥は水族館で、この道は「碧の小径」と呼ばれ北の明石公園まで続いています。 臨海公園はプール、体育館、水族館を中心に緑で囲まれた市民の憩いの場所です。今はプールは廃止されて新しい広場が建設されつつあります。このメタセコイアの並木は体育館西にあり、朝には散歩やウォーキングの人々が行きかっています。
碧南市浜町
一般応募

矢作川(河口付近)

矢作川(河口付近)
 碧南市の東を流れる矢作川、その河口付近(矢作川大橋)を撮影したものです。碧南市の市域を形成する上で重要な役割を果たしている矢作川は、本市有数の景観です。 碧南市は水に囲まれた街です。東には矢作川が流れ、その土砂等の堆積により土地が形成されたといわれています。母なる川ともいわれ、御川(みかわ)→三河の語源とも言われる矢作川は、碧南市だけでなく愛知県全体の景観資源ではないでしょうか。
碧南市中江町他
一般応募

矢作川桜堤み

矢作川桜堤み
 満開の桜を見上げるサラリーマン。 ここの桜はお酒を飲みながら花見をするというより、ゆっくり散歩をして花を観て楽しむ桜だと思います。 春にこの場所へ行くと、桜と矢作川が両方楽しめるのでオススメです。
碧南市三角町
一般応募

油が淵

油が淵
 県下最大の自然湖沼「油が淵」は、水に囲まれた碧南市の北部、西端地区に位置します。湖の形成は矢作川の流れによるものです。その水質等で問題となることもありましたが、昨今では付近住民の自主的な環境浄化活動により、回復傾向にあります。 また、県営公園の指定も受け、今後、この地域を代表する憩いの場として住民から愛される公園になるものと期待されます。 水に囲まれる碧南市の代表的な景観です。
碧南市油渕町他
一般応募
油が淵
 油ヶ淵はもともと入江だった場所が1600年頃、矢作川の付け替えによって内水面化したものです。油ヶ淵という名前の由来は、1766年頃の「竜灯伝説」によるものとされています。応仁寺の大階段を下った正面の水際には、葦原を刈り込んで作った舟入ありました。現在は、治水堤防によって、寺と湖沼との関係は分断されてしまいましたが、舟入のあった付近は公園化され菖蒲園として市民に親しまれています。
碧南市油渕町他
推薦:選定委員会

乳母道

乳母道
 棚尾集落内には無数の露地空間があるが、東西に伸びる目抜き通りと並行した一本北側の露地を地域の方は乳母道と呼びます。いわゆる自動車の通れない狭隘道路であるが、それゆえ乳母車を歩行器代わりにする高齢者が安心して往来できるコミュニティ道路となっています。旧家の土蔵や板塀、手入れの行き届いた生垣や竹垣、台所の音が聞こえてきそうな窓、昔あった建築物の名残の石垣など。高齢者だけでなくこの道を好んで散歩道にしている地域住民は多い。
碧南市源氏町
推薦:選定委員会

衣浦温泉街

衣浦温泉街
 かつて賑わいを見せた温泉街。 かつて「沖見園海水浴場」と呼ばれた海岸に面し、歓楽街および温泉街として繁盛していた地区であり、今でもかつての面影をわずかではあるが見ることができるため、歴史を伝える貴重な一角だと思います。
碧南市山神町
一般応募

蜆川のボート

蜆川のボート
 衣浦港に注ぐ小河川・蜆川は、かっては小さな漁船が多く停泊していたが、最近では海のレジャー人気でボートが目立つようになりました。青い空と水面の白い船体が映えて美しい。 遠い昔、矢作川の河口と同じようにこの蜆川の河口でもアサリやシジミを求めて潮干狩りをしたものです。久しぶりに来てみると、以前は小型漁船ばかりだったのが今ではプレジャーボートが優勢となっていました。時の流れを感じたが、船体の白さが青い空と水に映えて、また一味違った風景を創り出しています。
碧南市岬町、入船町他
一般応募

小学校の裏門

小学校の裏門
 新川小学校の裏門から校舎へと続く坂道。 小学生時代、登下校で毎日通った道なので、たくさんの思い出があります。裏門で友達と待ち合わせしてクラブ活動へ行ったり、門から校舎まで友達と坂道をかけっこしたり。小学校の裏門から校舎へと続く坂道の横に立つ大きな木も私のお気に入りです。
碧南市新川町
一般応募

新川沿いの遊歩道

新川沿いの遊歩道
 油ヶ淵から衣浦港へつながる人工河川・新川は、かつては瓦などの積み出しに利用された運河です。川沿いには車道もあるが、一部は歩行者専用となっています。近くには祠などがあり静かな場所です。 新川地区は、今でも瓦製造が盛んな地区でこの新川は港につながる運河として重要でしたが、今では川を行き交う運搬船はありません。
碧南市堀方町
一般応募

新川に架かる名鉄三河線のレンガの鉄橋

新川に架かる名鉄三河線のレンガの鉄橋
 碧南市内を流れる新川。この川の上を名鉄三河線が走っています。鉄橋には地場産業のレンガが使われており、古き時代の懐かしさを感じさせます。 碧南市は、16の川とそこに架かる258もの橋があり、水に囲まれた街です。本市の産業においても川は密接に関係しています。この新川の底から取れた良質な土から瓦やレンガなどの産業が発展しました。それを象徴するような橋であり、今まで残された景観の中でも懐かしさを感じさせる景観であると思います。
碧南市篭田町他
一般応募

土塀のある路地

土塀のある路地
 碧南市内には、大浜地区だけでなく市内各地区に細い路地が多くありますが、ここ東浦町の路地も建物の土塀と相俟って雰囲気の良いものとなっています。こういった路地には生活感が残り、往時から続く人々の行き来を感じさせてくれます。旧家(と思われる)土塀が残るここ東浦町地区の路地は、後世に残すべき景観の一つです。
碧南市東浦町
一般応募

南蛮提灯で浮かぶ広藤園

南蛮提灯で浮かぶ広藤園
 幻想的な異空間で「はい、チーズ!」。「広藤園」を、市内に昔から親しまれてきた「南蛮提灯(なんばちょうちん)」でライトアップ。 碧南市の名所である「広藤園」では、毎年5月に甘い香りとともに美しい藤の花が見ごろになり、毎年たくさんの観光客を迎え入れます。その藤を、昔から市内に伝わる南蛮提灯の温かい光が照らし、時間を俗世間を忘れる世界が広がりました。
碧南市二本木町
一般応募

西端旧集落の「坂道」「切り通し」「帯状の緑地」

西端旧集落の「坂道」「切り通し」「帯状の緑地」
西端旧集落の「坂道」「切り通し」「帯状の緑地」
 西端の旧集落は、水害を避けることの出来る高台部分に密集しています。そのため、集落を出入りする道は必ず「坂道」になっており、集落のあちこちに露地が斜面に突き当たって出来た「切り通し」がありました。また、集落をぐるりと囲む斜面地は利用されなかったため、「帯状の緑地」として残っており、地形と人の営みが生んだ独特の景観を形成しています。「坂道」「切り通し」「帯状の緑地」はそれぞれ重要な景観資源であり、関連しあっています。
碧南市油渕町他
推薦:選定委員会

にんじん畑

にんじん畑
 前浜、川口地区は碧南の特産・にんじんを産する土地です。碧南市の南部は矢作川の河口にあたり、にんじんの栽培には適した砂地の良い畑となっています。夏から秋にかけて、畝に沿って茂る葉は緑のじゅうたんのようです。12月も押し迫ると収穫が始まり、年が明ければ収穫も最盛期になります。巷では木々が紅葉するころ、この地ではにんじんの緑の葉が元気です。
碧南市稲荷町、河方町
一般応募

碧南市芸術文化ホール前の欅並木

碧南市芸術文化ホール前の欅並木
 道路に潤いを与える並木。 碧南市の芸術文化の拠点施設となる碧南市芸術文化ホール前の道路は、夏は木々の緑が美しく、冬はイルミネーションで彩られ、つい通りたくなる道路です。
碧南市鶴見町
一般応募

碧南市中山町地蔵通り

碧南市中山町地蔵通り
 幅2m、長さ50mほどの路地に20mにわたって33体の観音像が並んでいます。お世話をする方がいるのであろう、いつもきれいに掃除がされ、静かにその前を通る人を見守っています。その景観はこれを目当てに観光客が押し寄せるわけもないが、心温まる未来に残したい景観です。
碧南市中山町
一般応募

ボードウォーク

ボードウォーク
 衣浦臨海公園前の岸壁に整備された親水護岸。 白砂青松と言われた碧南市の海岸も工業地帯として埋め立てられてしまい、海を感じることができるポイントが少ない中、親水護岸として整備され、夜景も美しいスポットとなっています。
碧南市港本町
一般応募

前浜地区の農地

前浜地区の農地
 碧南市の南部には農地が広がっており人参、玉ねぎ、甘藷の生産でも有名です。遠方には臨海部の工業地帯が見えますが、農の景観というのは碧南市の独特な景観と思います。 農業作物の風景も碧南市独自の景色ですし、こういった景色が今後もずっと残されることを望んでいます。
碧南市河方町他
一般応募

緑のトンネル

緑のトンネル
 だらだらと続く坂道にある木々が織り成すトンネル。 起伏の少ない碧南市ですが、ところどころに高低差を感じさせる台地のエッジがあります。ここはエッジを斜めにゆっくりと駆け上がる貴重な長い坂道であり、木々に覆われ、夏でも涼しいポイント。どこかの里山に迷い込んだような気がします。
碧南市荒子町
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無我苑

無我苑
 「無我愛」を唱える哲学者伊藤証信は明治38年(1905年)、東京巣鴨に無我苑を発足させたが、まもなく閉鎖。その後、西端の青年グループ「竜灯団」の招きに端を発し、無我愛運動の本部を西端に建設することとなり、森信三、武者小路実篤、与謝野鉄幹昌子夫妻、藤井達吉らの支援を受けて、昭和9年に完成しました。平成4年には、愛知県のふるさとづくり事業「哲学たいけん村無我苑」として整備されました。碧南の重要な文化的資源でもあり、整備された施設や庭園などは市民に親しまれています。
碧南市坂口町
推薦:選定委員会