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【知事会見】愛・地球博記念公園に稲楼門が完成しました

ページID:0424969 掲載日:2022年10月7日更新 印刷ページ表示

 愛知県では、ジブリパークの整備に合わせて公園駐車場の増設や園路・広場・休憩所等の公園施設の再整備を行っています。

 この度、「どんどこ森」へとつながる林床花園(りんしょうかえん)の入口となる広場「稲楼門広場(とうろうもんひろば)」において、名古屋市中村区に2018年まで存在していた旧料亭「稲本(いなもと)」の門の移築(復原)が完了しましたので、10月12日(水曜日)から一般開放します。

1 稲楼門について

(1)名称 

​​ 旧料亭「稲本」の前身である「稲本楼(いなもとろう)」の門の移築(復原)であることから、今回の公園整備に当たり名称を「稲楼門」としました。

 また、門のある広場としての名称を「稲楼門広場」としました。

(2)規模

 高さ:5.3m 幅:約9m

(3)特徴

(1)4本の手斧(ちょうな)仕上げの柱を有する単層平入(ひらいり)の門

(2)屋根は反りのある入母屋(いりもや)屋根で、織部瓦(織部焼の瓦)で葺かれている

(3)軒先は銅板葺き、棟には鴟尾(しび)のある異国風の門

(4)左右にはべんがら塗りの袖塀(そでべい)を配置

※手斧・・・・・木の表面を削るための道具

 平入・・・・・切妻屋根において、軒先側にあたる平側に入り口を設置するもの

 入母屋屋根・・上部が切妻になっていて、その四方に庇屋根を付けた屋根形状のこと

 鴟尾・・・・・瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種

 べんがら・・・黄土を焼いて作る赤色の顔料

 袖塀・・・・・門の両側にある低い塀

(4) 経緯

経緯
年代

内容

1923年

名古屋市中区の大須から中村区大門の中村遊郭に移転

「稲本楼」として開業

  店舗拡張により稲本楼別館が増築される(昭和初期)
1957年 旅館へと転換
  料亭「稲本」が開業する(詳細な時期は不明)
1993年10月 名古屋市都市景観重要建築物に指定される
2009年 料亭「稲本」が営業を終える
2018年 建物と楼門が解体される際に、株式会社スタジオジブリが現場を見に行き、楼門を譲り受け、解体保管された
2020年 6月 株式会社スタジオジブリから愛知県に寄付
2020年 8月 解体した材料が使用できるか、不足がないかを確認し、設計に反映するため、愛・地球博記念公園に搬入し、魔女の谷エリアで仮組立を行った
2020年 9月 仮組立後は愛・地球博記念公園のグローバルループ下で雨がかからないように保管した
2022年 1月 建築工事着手
2022年 9月 建築工事完成
2022年10月12日 使用開始

解体前の料亭「稲本」の門の状況

解体前の料亭「稲本」の門(2018年)

工事着手前状況

工事着手前状況(2021年7月)

稲楼門完成

稲楼門完成(2022年9月)

2 稲楼門広場について

 稲楼門の風景に合った造形物として、映画『千と千尋の神隠し』に登場する石人(せきじん)のオブジェを設置するとともに、その周囲には使い古した石灯籠(いしどうろう)や手水鉢(ちょうずばち)を配置することで、修景施設全体で映画のような雰囲気をもった広場となっています。

 また、広場内には東屋(あずまや)を整備し、園内の散策に疲れた時などに休憩処としてご利用いただけます。

位置図

広場の概要

拡大図(稲楼門広場) [PDFファイル/638KB]

稲楼門(旧料亭「稲本」の門に関する現地解説板内容

旧料亭稲本の門

 この門は、名古屋市中村区に2018年まで存在した料亭稲本の門として使われていた建物です。

 料亭稲本は、中村区に位置した中村遊郭(戦後は名楽園と改称)の中で一番の格式を誇ったともいわれる稲本楼別館の建物を利用した料亭でした。名古屋市の都市景観重要建築物にも指定されていました。

 時代の変遷を経て2009年に料亭を畳んだ跡は、建物を存続させる努力や、多くの団体の保存活動も及ばず解体されました。その際、所有者や関係者の意向で門の木材等の材料が解体保管され、当地にスタジオジブリと愛知県により門の復原が行われました。料亭であった当時の意匠を凝らした建物は、今は見ることができませんが、この門からはその時代の華やかさを窺い知ることが出来ると思います。

門の特徴

 4本の手斧(ちょうな)仕上げの柱を有する単層平入の門であり、屋根は反りのある入母屋屋根で、織部瓦(織部焼の瓦)で葺かれ、軒先は銅板葺き、棟には鴟尾(しび)のある異国風の門です。左右にべんがら塗りの袖塀を配置しています。

 瓦の織部焼は、古くより美濃・瀬戸地方で焼かれ、施釉の織部瓦が作られました。明治・大正から昭和中期にかけて瀬戸で織部焼が生産され、その風合いと耐久性から、当時の高級な建物に盛んに使われた時代がありました。徳川美術館や瀬戸の深川神社などには今もこの織部瓦が残されており、この門もそのひとつです。瀬戸での生産は終焉し、現在は織部瓦を焼く窯元はありません。

 今回の門の復原に際しては、既存の織部瓦は再使用と、補足瓦には再現を試みて焼いた新しい織部瓦の双方を使って屋根が葺かれています。2組の鴟尾(しび)も、痛みが大きかったので新たに復原したものです。

 意匠を凝らした木部と鮮やかな緑の屋根、紅の壁が見どころの復原建物です。

このページに関する問合せ先

愛知県都市・交通局都市基盤部公園緑地課
事業グループ
担当:志賀、祖父江
電話:052-954-6528

内線:2675、2717
メール:koen@pref.aichi.lg.jp

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